毎熊晟矢は東福岡高校出身!桃山学院大学や中学校時代についても調査

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サッカーの毎熊晟矢(まいくま せいや)選手は、現在Jリーグ・セレッソ大阪所属。

今回の記事では、毎熊晟矢選手の学生時代についてご紹介していきます!

毎熊晟矢選手は、大分出身。

九州のスポーツ強豪校・東福岡高校で大活躍された後、大阪にある桃山学院大学へ。

大学を卒業後は、長崎J2チームであるV・ファーレン長崎に加入されました。

その後、2022年からはセレッソ大阪でプレーされています。

毎熊晟矢選手の中学時代や子供時代についてもご紹介します!

▽この記事でわかること▽
■毎熊晟矢は東福岡高校出身!
■毎熊晟矢は桃山学院大学出身!
■毎熊晟矢の中学時代は?
■毎熊 晟矢の子供時代のチーム遍歴
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毎熊晟矢は東福岡高校出身!

毎熊晟矢選手は、2013年4月に福岡県福岡市にある東福岡高等学校に入学しました。

東福岡高等学校は、スポーツの強豪校で、サッカー部の他、ラグビー部や野球部も有名です。

サッカー部出身者としては、長友佑都選手(2023年現在FC東京所属)や、本山雅志選手(長く鹿島アントラーズでプレー/2023年4月引退)など、プロサッカー選手も輩出しています。

では、この強豪校で、毎熊晟矢選手はどのような3年間を送ったのでしょうか。

東福岡高等学校サッカー部HPはコチラ

 

2年生までBチームでプレー

少しでもレベルの高いところでプレーしたい!

との思いで入学した東福岡高等学校でしたが、やはりレベルは高く、毎熊晟矢選手はなかなかAチームでは出られず、BチームのFW(フォワード)でプレーしていたそうです。

毎熊晟矢選手の2つ上の先輩には、松田天馬選手(京都サンガFC)、木戸皓貴選手(ラインメール青森FC)や、1つ上には中島賢星選手(奈良クラブ)、増山朝陽選手(V・ファーレン長崎)などがいました。(※2023年10月現在の所属)

さすが強豪校!

といった感じで、部員もかなり多く、先輩との差を感じることもあったとか。

2年生になってもAチームでは出られず、かなり苦しい思いをして練習していたのだと想像できます。

 

3年生でようやく掴んだレギュラーの座

そして2015年、3年生になりようやくレギュラーの座をつかみました。

実は、毎熊晟矢選手の代は「至上最弱」と周りから言われていたそうです。

しかし、そんなマイナスな下馬評は完全に覆されます!!!

 

2015年度の東福岡高校は、全国高等学校総合体育大会(インターハイ)で優勝!

第94回全国サッカー選手権大会でも優勝し、二冠を達成しています。

毎熊晟矢選手も、全国高等学校総合体育大会(インターハイ)では主力として活躍しました。

しかし、全国サッカー選手権大会の県大会で怪我をして、全国大会には間に合ったとはいえ、すべての試合でベンチ入りしただけで、実際に出場することはできませんでした。

「12年ぶりの2冠達成」という快挙なのに、そして最終学年の3年生なのに、不完全燃焼に終わってしまった 毎熊晟矢選手。

仲間の活躍は嬉しかったとは思いますが、心の底から喜べなかったといいます。

 

こちらのX(旧Twitter)を見ると、毎熊晟矢選手は県大会の準々決勝には出場しているので、この後に怪我をしたのでしょうか↓↓↓

 

1年生と2年生ではAチームには出られず、悔しい思いをしながら、相当努力もしてきたのだと思います。

やっと3年生になってレギュラーをつかんだのに、最後の大きな試合で、全てベンチだったというのは相当悔しかったのでしょう。

 

それでも毎熊晟矢選手は、東福岡高校の3年間をこう振り返っています。

東福岡高での3年間は、めちゃくちゃ大きかったですね。

練習はきつかったですが、求めていた環境でしたし、成長できたと思います。

引用元:セレッソ大阪公式HP

悔しい気持ちも体験しましたが、毎熊晟矢選手にとっての東福岡高等学校での3年間はプロの選手になる一歩として、大きな経験になったことでしょう。

残念ながら、高校卒業後に目指していたプロ入りの夢は、このタイミングでは叶うことはありませんでした。

 

毎熊晟矢は桃山学院大学出身!

高校卒業と同時にプロになることを目指していた毎熊晟矢選手でしたが、そのタイミングではオファーがなく、2016年4月に大阪府にある桃山学院大学に入学しました。

毎熊晟矢選手が桃山学院大学への進学を決めた理由は、関西に行ってみたいという気持ちと、過去に東福岡高等学校から、桃山学院大学に進学された先輩がいたから。

 

桃山学院大学もサッカーの強豪校。

毎熊晟矢選手の同期には、佐藤碧選手(2023年現在ヴァンラーレ八戸所属)、一つ上には徳永晃太郎選手(2023年現在アスルクラ沼津)などがいました。

その桃山学院大学ではどのような日々を過ごしたのでしょうか。

桃山学院大学FOOTBALL CLUB公式HPはコチラ

 

世界が変わる体験

毎熊晟矢選手は、大学1年生の時には試合に全く出られず、裏方の仕事をしたりする辛い日々が続いていました。

そんな毎熊晟矢選手ですが、ここで世界が変わる体験をしたのだとか。

 

試合に出られないまま1年が過ぎようとしていたとき、「このままではいけない」。

そう思い、改めてどうすべきか考えたそうです。

その結果たどり着いた答えは、

「まず、自分が試合に出なければいけない」

というシンプルなもの。

それについて毎熊晟矢選手はこう語っています。

「チームのために自己を犠牲にするスタイル」ではなく、「チームのために自分が活躍し、チームを勝たせるスタイル」に切り替えようと決めたんです。

それ以降、積極的に前へ出ることを意識したプレーを心がけるようになり、次第に試合にも出してもらえるようになっていきました。

引用元:桃山学院大学webアンデレクロス(2022年8月19日)

(※この、桃山学院大学webアンデレクロスとは、桃山学院大学の大学広報誌のweb版です)

 

これが毎熊晟矢選手にとって、「世界が変わる体験」だったそうです。

大学1年目のこの辛い日々は、改めてサッカーと向き合い、サッカーについて考え、自分のプレースタイルを見つけることが出来た貴重な時間だったのですね。

 

プロに向かって成長の日々

毎熊晟矢選手は、2年目から試合に出られるようになり、ここからプロの選手になるためにさらなる成長を遂げていきます。

「チームを勝たせるために自分が点を取る」という意識をもって、サッカーに向き合い続けました

 

そして、2年生と3年生のときには関西選抜にも選ばれました。

2年生のときの関西選抜チームの写真はコチラ(毎熊晟矢選手は背番号20)
3年生の時の関西選抜チームの写真はコチラ(毎熊晟矢選手は背番号17)

この関西選抜チームとして出場したデンソーチャレンジカップ。

2年生のときは、2018年2月の3位決定戦で敗退。

3年生のときは、2019年3月の1回戦で敗退しています。

 

しかし、この関西選抜への経験でプロへの手応えを感じるようになり、3年生のときのデンソーチャレンジカップではV・ファーレン長崎のスカウトに自分のプレーをみてもらえたそうです。

その後はV・ファーレン長崎の練習に参加したり、セレッソ大阪の紅白戦にも何度か参加したりと、プロへの道に向かって、着実に前に進んでいました。

 

その結果、卒業後はJ1のセレッソ大阪からは声がかからなかったものの、J2のV・ファーレン長崎でプロをスタートさせました。

大学の1年目はなかなか活躍の場が与えられず辛い思いをしましたが、桃山学院大学時代の経験があったからこそ、成長し、日本代表として活躍できる選手へと上り詰めることができたのでしょう。

毎熊晟矢の中学時代は?

毎熊晟矢選手は長崎市立淵(ふち)中学校の出身です。

中学校へは、2010年4月に入学しています。

プロ野球選手の、福岡ソフトバンクホークスの増田珠(ますだ しゅう)選手や、歌手で俳優の福山雅治さんの出身中学校でもあります。

長崎市立淵中学校は、サッカー部も強いそうなのですが、毎熊晟矢選手は中学からクラブチームに所属しているので、部活には入っていなかったようです。

 

中学時代の毎熊晟矢選手が所属していたクラブチームは、「フットボールクラブBRISTOL(ブリストル)U-15」。

このクラブは、長崎出身の元プロサッカー選手の大久保誠さんが設立したクラブチームです。

 

【大久保誠(おおくぼ まこと)さんとは】
■1975年5月3日生まれ(2023年10月現在48歳)、長崎県出身
■福岡大学在学中の1997年に、ユニバーシアード代表シチリア大会の日本代表に選出
■大学卒業後の1998年、サンフレッチェ広島に入団しましたが、2000年に怪我のため引退
■2004年~2008年まで名古屋グランパスエイトの下部組織のコーチとして活動
■2009年に地元長崎に戻り、「フットボールクラブBRISTOL(ブリストル)」を設立
フットボールクラブBRISTOL(ブリストル)HPはコチラ

 

ここを選んだ理由には、代表である大久保誠さんの存在が大きく、小学校6年生の時にスクールに行き、すごく感じるものがあり、ここでやりたいと思ったそうです。

プロになりたい思いは小学生の頃からありました。

それまではただ楽しくサッカーをやっていたのですが、元プロサッカー選手の技術を間近で見て、サッカー観が変わりました。

ボールの置き所や見る所なども、この時期に考えるようになりましたね。

引用元:セレッソ大阪公式HP

小学生の頃からプロになりたいという思いがあった毎熊晟矢選手。

大久保誠さんとの出会いでプロ選手の存在を身近に感じ、さらにこのクラブチームでプレーすることで、ますますプロサッカー選手になりたいという思いを強くしていったのでしょう。

 

毎熊晟矢の子供時代のチーム遍歴

毎熊 晟矢選手は、幼い頃から何度も引っ越しをされています。

ここでは、引っ越しに伴って何度も変わったサッカーチーム遍歴をまとめてみました。

 

①幼稚園の時に大分トリニータのスクールに入り、サッカーを始める。
②小学1年生で長崎県佐世保市に引っ越し、「黒髪フットボールクラブジュニア」でプレー。
③小学2年生で長崎市内に引っ越し、小学校を卒業するまで「JFCレインボー長崎」でプレー。

 

そして、中学生からは、先ほどご紹介した「フットボールクラブBRISTOL(ブリストル)U-15」でプレーするようになりました。

 

子供時代は「楽しくサッカーをしていた」ということですが、幼稚園の年中の頃からずっとサッカーを続けたということになります。

子供なので、飽きてしまう、ちょっとしたことで嫌になってしまうこともありそうですが、一途に続けられたこと。

それも一つの才能ですね!

 

毎熊晟矢選手がサッカーを始めたきっかけについては、こちらでご紹介しています!
是非ご一読ください↓↓↓https://tomato-journal.com/seiya-maikuma-family/

 

毎熊 晟矢選手が、日本代表として活躍するようになったことは、毎熊晟矢選手がかつてプレーしていたチームでサッカーをしている子供たちにとっても、大きな刺激になっていることでしょう。

きっと、大分や長崎から、多くの子どもたちが毎熊晟矢選手に声援を送ってくれていると思います!

 

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まとめ

今回は、『毎熊晟矢は東福岡高校出身!桃山学院大学や中学校時代についても調査』というタイトルで、日本代表にも選出されているセレッソ大阪の毎熊晟矢選手についてご紹介しました。

毎熊晟矢選手は、サッカーの強豪校である、東福岡高等学校出身。

1.2年生のときはBチームでプレーしていましたが、3年生でレギュラーの座を掴み、全国高等学校総合体育大会(インターハイ)と第94回全国サッカー選手権大会で優勝し、二冠を達成しています。

しかし、全国サッカー選手権大会の県大会で怪我してしまい、全国大会はすべてベンチで終わってしまうという悔しい思いもされました。

その後は桃山学院大学に入学。

ここでも1年生のときは試合には出られませんでしたが、「チームのために自分が活躍し、チームを勝たせるスタイル」に意識を変え、関西選抜にも選ばれるようになりました。

中学生の頃の毎熊晟矢選手は、フットボールクラブBRISTOL(ブリストル)U-15に所属していました。

代表である、元プロサッカー選手の大久保誠さんに刺激を受け、プロへの思いを強くしました。

そんな毎熊晟矢選手のサッカーを始めたきっかけは、「親が何かスポーツをさせたかったから」というシンプルなもの。

幼稚園の年中~小学校6年についても、クラブチームなどでサッカーを続け、着々とサッカーの技術を身につけました。

2023年9月に日本代表にも選ばれた毎熊晟矢選手。

今後の活躍が楽しみです!

今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

 

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