西村宏堂(こうどう)さんは、お坊さんでありメイクアップアーティスト!
そして、ご自身がLGBTQの当事者であることを公表されていて、様々な活動を通じてメッセージを発信されています。
今回は、そんな西村宏堂さんの学歴についてご紹介!
東京生まれの西村宏堂さんが、高校を卒業後、アメリカに渡った経緯を含めて、大学時代についても調査しました。
アメリカ留学中に「森理世」さんに出会ったことが人生の転機に!!!
■西村宏堂の高校時代
■西村宏堂の大学時代
■アメリカ留学中の森理世との出会いが転機に
西村宏堂の高校時代
西村宏堂さんは、東京都内の私立高校に通われていたようです。
西村宏堂さんの生年月日は1989年2月13日ですので、高校入学は2004年4月だと思われます。
学校名については、公表されていません。
というのも、西村宏堂さんにとって高校時代は「暗黒の時代」と話されているからでしょう。
高校時代は「暗黒の時代」
西村宏堂さんが通っていたのは、いわゆる進学校と呼ばれる高校。
当時についてのインタビューの中で、以下のようにコメントされています。
1日10時間勉強させる受験校で、管理型の校風に疑問を持たない同級生とも打ち解けられない。
孤独を深め、アトピーを悪化させた。
いつも一人だった。
中学時代は、まだ「男子」「女子」が混ざり合っている部分もあって、いわゆる「女子グループ」にもまぎれることが出来ていた西村宏堂さん。
しかし、高校では男子グループと女子グループが完全に分かれていて、野球やサッカー・お笑い芸人の話題で盛り上がる男子グループには入って行けなかったと言います。
中学時代の友人である小林菜月さんは、中学当時の西村宏堂さんについて以下のようにコメントされています。
中学時代の友人・小林菜月(32)によると、学校のコミュニティーには溶け込んでいたという。
「女子のバレーボールの輪に宏堂さんがいて全然おかしくない感じです。
放課後は一緒に帰ってましたし、ディズニーランドに何度も2人で行きました。
英語と美術が抜群にできて、私の知らない洋楽を『これ、聴いてみて』って教えてくれる。
おもしろいことや楽しいことをどんどん掘り下げて知らない世界に連れて行ってくれる人でした」
中学校では、周りの目をそれほど気にせずに女子のグループでのお喋りにも花を咲かせ、楽しかった思い出もあったようですね。
進学した高校に、中学時代の親しかった友人が一人もいなかったのも、運が悪かったと言えるかもしれません。
さらに、このエピソードを経て、ますます孤立していくことになってしまいました↓↓↓
ある日の掃除の時間、黒板の方を向いている渡しの背後から「西村、あいつオカマでしょ?」という声が聞こえてきて。
その瞬間、凍りついてしまった。
彼とはちっとも仲良くなんかないのに、やっぱりわかっちゃうのかな・・・。
~中略~
明日からどんな顔をして学校に行けばいいの?
あざ笑われたようでプライドはズタズタ。
引用元:「私が好きな私で生きていいんだ~正々堂々」西村宏堂著より
遅刻を正当化するための「遅延証明書」
友人がひとりもいない、孤独な高校生活。
学校に足を向けるのも、どんどん苦痛になっていきますよね。
高校時代に、どれだか学校が嫌だったかがわかるエピソードがあります↓↓↓
当然、毎朝学校に行くのが嫌になって、遅刻しがちに。
~中略~
(電車の)遅延証明書があれば遅刻しても怒られなくてすむので、とにかく学校にいる時間を短くしたかった私は、毎日電車が遅延することを祈っていました。
引用元:「私が好きな私で生きていいんだ~正々堂々」西村宏堂著より
高校は義務教育ではないので、中学までよりも欠席や遅刻早退についてシビアになりますよね。
ですから、遅刻したら当然叱られるし、回数が増えれば留年なんていうものにも直結してしまいます。
そんな中、5分、10分でも学校にいる時間を短くしたい西村宏堂さん。
電車が遅延した時にもらえる「遅延証明書」があれば遅刻を正当化できる!!!
ということで、電車が遅れることを毎日願っていたとのこと。
これは、本当に追い詰められた心理状態だったのでしょうね。
ネットの世界に見つけた「居場所」
幼い頃からお姫様ごっこが大好きで、お母さんのミニスカートをドレスに見立ててダンスし、スカーフを頭からかぶってロングヘアーを気取っていた天真爛漫な「こうちゃん」。
しかし、成長するにつれて、いつの間にか本当の自分を封印するように。
しかし!
西村宏堂さんは、そんな高校時代にも、密かに自分らしく過ごせる「居場所」をちゃんと見つけていました!
それは、「ネットの世界」にありました。
私と同じような境遇の子が集まるゲイチャット。
ここでだけは、隠すことなく自分の本音を話せました。
~中略~
LGBTQならではの悩みを相談し、互いに励まし合ったり、語り合ったりして。
このゲイチャットがなかったら、高校の3年間を無事にやり過ごせていたか自信がありません。
引用元:「私が好きな私で生きていいんだ~正々堂々」西村宏堂著より
LGBTQの方だけでなく、色々な悩みを抱えている人たちが、ネットの世界で自分の居場所を見つけられて、そのことが大きな救いにつながるという話は、時々耳にすることがあります。
インターネットで生きる世界が広がるという、インターネットの典型的な良い利用例だと思います。
西村宏堂さんは、高校の途中から海外留学に行きたいとご両親に相談されたこともありました。
しかし、高校は最後まで通うように諭され、その結果、高校を卒業されてからアメリカへと旅立たれます。
西村宏堂の大学時代
西村宏堂さんは、高校を卒業後、念願の海外留学の夢を叶えます。
高校を卒業されたのは、2007年3月。
最初に向かった留学先は、アメリカのボストンでした。
アメリカ・ボストンへ
アメリカに渡った西村宏堂さんは、まず、ボストンの語学学校に通われました。
この語学学校に通われていたのは、2007年春に高校を卒業してから、アメリカの大学が新年度を迎える9月までの期間だったのではと予想します。
その後、同じボストンにあるディーンカレッジ(Dean College)に進学されます。
こちらの大学在学期間については、2007年9月から2年間だったのではと思います。
以下のTwitterには「マサチューセッツのディーン大学」と紹介されていますが、ボストンはマサチューセッツ州の州都です。
1/13(水)にお迎えするゲストは・・・
マサチューセッツのディーンカレッジ
ニューヨークのパーソンズ 美術大学
カリフォルニアのメイクアップ・デザイナリーへ留学👠現在は、メイクアップアーティストで僧侶
LGBTQ活動家の西村宏堂さんです!
#jfn #留学 #futures pic.twitter.com/woDqHtR65p— FUTURES ~Sense of Wonder~ (@FUTURES_wed) January 12, 2021
ボストンでは、西村宏堂さんにとって嬉しい出会いがありました。
ボストンの教会にゲイの若者向けのコミュニティーがあって、そこに参加するようになって、初めてリアルゲイ友ができたのもこのころ。
引用元:「私が好きな私で生きていいんだ~正々堂々」西村宏堂著より
高校時代に、チャットではつながりのあったゲイのお友達でしたが、ボストンでは実際に「リアル友」として出会えたとのこと。
また、ボストンという海外の地に行っても、同じように留学に来ている日本人とは接触しないようにしていた西村宏堂さん。
場所は日本ではないけれど、日本人に自分が同性愛者だということを打ち明けるというハードルは、高いままでした。
そんな中で「エリちゃん」という日本人の友人ができたのも、ここボストン時代。
このエリちゃんには、自分のことをカミングアウトすることが出来たのです!
もちろん、エリちゃんは「拍子抜け」するほどあっさりとその事実を受け入れてくれて、その後も友情はまったく変わらなかったとのこと。
西村宏堂さんにとって、ゲイのお友達が出来たこと、そして自分のことを受け入れてくれたエリちゃんと出会えたことは、ボストンで得た大きな大きな宝物なのではないでしょうか。
アメリカ・ニューヨークへ
西村宏堂さんは、ボストンで約2年程過ごした後に、ニューヨークへ!
2009年から、ニューヨークにある「パーソンズ美術大学」に編入されました。
きっとこの頃には、語学に関しては問題なく生活されていたのではないかと思います。
パーソンズ美術大学は、ニューヨークのマンハッタンにある私立の大学。
世界三大ファッション大学の一つに数えられるほど、ファッション界では権威のある大学です。
大学の規模から見ても、かなり大きな大学です。
西村宏堂さんは、この大学でアートについて本格的に学び始めます。
この時は、「ファインアート」という専攻だったようで、メイク専門のカリキュラムを受講されていたのではなさそうです。
この大学の3年生の時に、単位取得のためにインターンシップで職業体験をする必要がありました。
この頃、すでにメイクに興味を持っていた西村宏堂さんは、どうせなら好きなこと=メイクに関わるようなインターシップ先を探そう!と考えました。
そこで、西村宏堂さんは「ある日本人のメイクアップアーティストさん」にインターンシップさせてもらえないかと打診!
その方は、ミス・ユニバースでも活躍されているメイクアップアーティストさんで、森理世さんがミス・ユニバースで優勝された時にも担当されていた方!!!
西村宏堂さんの依頼に対し、メイクレッスンを引き受けてくださったものの(レッスン料は4時間で10万円だったそうです!)、相手がかなり多忙だったことからなかなか日程が合わず、お詫びにと食事に誘われた西村宏堂さん。
その食事会の席で、西村宏堂さんはメイクに対する熱い想いを伝えました。
すると・・・
「私と同じパッションを持っているあなたに、ぜひアシスタントに来てもらいたいわ」
引用元:「私が好きな私で生きていいんだ~正々堂々」西村宏堂著より
ということで、大学3年生で世界的に有名な日本人メイクアップアーティストさんのアシスタントになることに!!!
メイクのレッスンを受ける、または、インターンとして受け入れてもらえないか、との依頼だったのに、それを飛び越えてアシスタントに抜擢されたのです!
そして、その翌年には「ミス・USA」と「ミス・ユニバース」のメイクチームに参加されることへとつながっていきました。
当時、学生だった西村宏堂さんは、かなりの勇気を振り絞って、そのトップメイクアップアーティストさんにコンタクトを取ったのだと思います。
「ダメ元」という気持ちだったのかもしれませんね。
でも、その勇気ある行動と、メイクに対する熱い想いをお伝えすることが出来たことで、人生が変わっていったように思います。
さらに、このニューヨーク時代には、西村宏堂さんの人生に影響を与えた出会いがありました。
それは、一緒に大学で学んでいた韓国人の友人との出会いです。
彼は、兵役により学業を中断せざるを得なかったのです。
兵役によって2年間卒業が遅れてしまうので、今まで一緒に学んできた西村宏堂さんたちとは一緒に卒業出来ないと打ち明けられます。
兵役により留学が中断すること、仲間たちと一緒に卒業できないこと、兵役に行くことへの不安などを、すべて覚悟を決めて受け入れていることを知った西村宏堂さん。
そのことがきっかけで、自らも避けては通れないことがあることに気付かされたといいます。
それは、実家がお寺だということです。
自分の人生の課題に真正面から立ち向かっている彼の姿を目の当たりにして、私もずっと避けてきた、私のルーツである仏教と向き合わなくちゃと思いました。
引用元:「私が好きな私で生きていいんだ~正々堂々」西村宏堂著より
実際に、パーソンズ美術大学で4年間を過ごした後、西村宏堂さんは日本へ帰国されます。
なぜかというと、日本でお坊さんになる修行をするためです。
修行は2年間にわたって行われ、西村宏堂さんは2015年に浄土宗の僧侶となられました。
アメリカ・カリフォルニアへ
西村宏堂さんは、日本でお坊さんになる修行を終えたあと、再度アメリカに渡ったようです。
そして、カリフォルニアにある「メイクアップ・デザイナリー」という専門学校で学ばれました。
ニューヨークでさらにお勉強された後に、カリフォルニアに移動された可能性もあります。
こちらの専門学校では、メイクに関することだけでなく、メイクを教えることについてのテクニックも学ばれたようです。
Make-Up Designory (MUD)は、1997年にカリフォルニアのノースハリウッドに創立され、現在ニューヨークにもキャンパスを持つメイクアップの専門学校です。
基礎的なメイク理論から、撮影用メイクまで本格的に学ぶことができます。
引用元:アメリカ留学.US
こちらの専門学校に在籍されていた期間については、はっきり分かりませんでした。
しかし、ここでの学びは西村宏堂さんのメイクアップアーティストとしての技術力を確実にアップすることになりました。
アメリカで、メイクアップアーティストとしてファッション雑誌やカタログ、コマーシャルなどでも活躍!
ハリウッド女優やモデルさんたちからも信頼されるメイクアップアーティストとなられました。
アメリカ留学中の森理世との出会いが転機に
先ほどご紹介したように、西村宏堂さんは日本の高校を卒業後、アメリカに渡りました。
しかし、アメリカに行った最初から、すべてが順調だったわけではありませんでした。
しかし、ある出来事を経て西村宏堂さんの人生は好転していきます。
その転機となったのは、森理世さんとの出会いでした!
森理世ミス・ユニバース2007優勝!
西村宏堂さんは、「自由の国アメリカに行けば、すべてが変わると思っていた」のですが、現実は違ったようです。
実際はアメリカ人の友だちはできず、人種差別的な言葉の暴力を受けたりして・・・。
ここでも自分は受け入れられない存在なんだって、落ち込みました。
引用元:「私が好きな私で生きていいんだ~正々堂々」西村宏堂著より
そして、そんな状況を「私が日本人だからだ」という理由で納得させようとしていた時に、西村宏堂さんの運命を変えるニュースが飛び込んできました。
それは「森理世さん ミス・ユニバース2007優勝!」というもの。
同じ日本人である森理世さんが、世界的に超有名なミス・ユニバースで世界一になった???
このことで、「自分がアメリカで受け入れなかったのは、日本人だからではない!」と気付いた西村宏堂さん。
ここから、西村宏堂さんの人生は大きく変化していきます!
色々な雑誌や本を買いあさり、森理世さんについて、そして「日本人の美しさ」について考えるようになったといいます。
「日本人には日本人特有の美しさがある」
「人はそれぞれ持っているものがある」
そんなことに、実感をもって気付くことが出来るようになっていったのではないでしょうか。
実際に、お2人が会うのは、もう少し後のことです。
メイクアップアーティストのアシスタントに
西村宏堂さんが、森理世さんのミス・ユニバース優勝を知って、大きく価値観がゆさぶられたからこそ、先ほどご紹介した「日本人トップメイクアップアーティスト」さんとの出会いが生まれます。
森理世さんのことを調べる中で、彼女のメイクを担当されたのが日本人だと知った西村宏堂さん。
だからこそ、インターンシップ先を決める際に「あのメイクアップアーティストさんにお願いしよう!!!」という流れになったのです。
そして、結果的にこの方のアシスタントになったという話は、先ほどお伝えしましたよね。
この方に出会えたことも素晴らしいことですが、そこに至るには「森理世さんの存在が不可欠だった」わけです。
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まとめ
今回の記事では、お坊さんでありメイクアップアーティストとしてご活躍中の西村宏堂さんの、学歴に関することをご紹介しました!
東京生まれの西村宏堂さんは、「暗黒の高校生活」を終えた後、アメリカに留学。
ボストン、ニューヨーク、そしてカリフォルニアで、メイクについて学ばれました。
アメリカでの生活は、最初から順調だったわけではなく、日本にいた頃から抱えてきた色々な問題がすぐに解決することはありませんでした。
しかし、アメリカ留学中に飛び込んできた「森理世 ミス・ユニバース2007優勝」というニュースを機に、西村宏堂さんの人生は好転していかれたようです。
現在の西村宏堂さんのご活躍ぶりをみると、いかにこのアメリカ留学が大きな意味を持っているかがわかりますね。
今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
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