2022年8月10日に行われる内閣改造で、永岡桂子氏の初入閣が決定しました。
文部科学大臣とのことです。
永岡桂子氏は、自民党麻生派の衆議院議員で、これまでに当選6回!
政治家になったきっかけは、2005年8月1日に旦那(夫)の永岡洋治氏が急死したことで、その基盤を受け継ぎ、同年に行われた衆議院選挙に出馬し初当選されました。
この時の衆議院選挙の公示日が8月30日で、投票日が9月11日というから驚きです!
さて、永岡桂子氏の旦那(夫)の永岡洋治氏の死因は何?
永岡洋治氏は、どんな政治家だったの?
また、永岡洋治・桂子夫妻に子供はいる?
■永岡桂子の旦那(夫)永岡洋治の死因は何?
■永岡桂子の旦那(夫)永岡洋治はどんな政治家だった?
■永岡洋治・桂子夫妻に子供はいる?
永岡桂子の旦那(夫)永岡洋治の死因は何?
永岡桂子氏の旦那(夫)永岡洋治氏が亡くなったのは、2005年8月1日のことで、死因については自死だということです。
1950年12月24日生まれだった永岡洋治氏は、54歳で亡くなられたことになります。
Wikipediaによると、2005年8月1日午前11:50頃、東京世田谷区にあるご自宅で自ら首を吊って命を絶とうとされ、すぐに病院に緊急搬送されましたが、残念ながら12:15に東京都内の病院で死亡が確認されたそうです。
8月1日午前10時5分ごろ、自民党の永岡洋治衆院議員(54歳、茨城7区)が、東京都世田谷区の自宅で首を吊っているのを、妻が発見し、娘が消防に通報した。
永岡議員は東京消防庁の救急隊によって東京都三鷹市の杏林大医学部付属病院に搬送されたが、まもなく死亡が確認された。
警視庁成城警察署は永岡議員は自殺を図ったとみて、関係者から事情を聞いたり、遺書の有無などについて確認を急いでいる。
引用元:ウィキニュース
その後の調べで、遺書は見つからなかったそうです。
ですが、なぜ、54歳という若さで自らの命を絶とうとされてしまったのでしょうか。
その原因のひとつは、郵政民政化法案だったのではと言われています。
永岡洋治氏は、自民党の志帥(しすい)会に所属していた議員で、当時の志帥会は亀井静香氏が会長でした。
亀井氏は、郵政民政化を進めていた小泉純一郎首相に対して、強く反対していました。
ですから、永岡洋治氏も、自民党総務会では郵政民営化に対し反対を表明していましたが、7月5日に行われた衆議院本会議での採決で、賛成側に。
この衆議院本会議での採決結果、郵政民営化は5票差で可決されます。
郵政民営化反対を強く主張していた亀井派のメンバーだったにもかかわらず、衆議院本会議で賛成を表明した永岡洋治氏。
Yahoo知恵袋には、永岡洋治氏の自死の原因について、以下のような返答がベストアンサーとされています↓↓↓
郵政改革反対の亀井派内にあって先の衆院で賛成票を投じ、同派議員から非難され、 加えて地元の特定郵便局会から顧問を辞退させられたことが引き金になったようです。
引用元:Yahoo知恵袋
この中にある「特定郵便局会」ってなんだ?と思ったので、調べてみました。
「特定郵便局長を長とする郵便局」のことを指すとのこと。
明治時代に郵便制度が出来た際に、郵便局を全国各地に設置することが財政的にも厳しかったので、地元の名士や地主などに土地や建物を提供してもらい、そこで郵便業務を行ってもらった経緯があり、そのような形でできた郵便局のことを「特定郵便局」と呼んでいたようです。
「特定郵便局会の顧問」ともなれば、地元の実力者との濃い(良くも悪くも)関係性がありますよね。
それは、そのまま選挙の時の組織票につながるものでしょう。
特定郵便局の運営を任されている地元実力者たちは、郵政民営化には当然大反対でしょうし、永岡洋治氏が郵政民営化に賛成の意思を表明したことで、地元の実力者からの支援が絶たれることになったわけですね。
最終的には2007年10月1日郵政民営化は実現されました。
こちらのTwitterに永岡洋治氏の写真が使われていますので、掲載させていただきました。
誰が永岡洋治議員を自殺に追い込んだ
遺書はなかったはず#内閣総辞任を求めます#安倍晋三の逮捕を要求します pic.twitter.com/riqi7ZpA4R— AntiqueAnn (@annantigue31) May 20, 2020
永岡桂子の旦那(夫)永岡洋治はどんな政治家だった?
永岡桂子氏の旦那(夫)永岡洋治氏はどんな政治家だったのでしょうか。
簡単にプロフィールをご紹介します。
氏名 | 永岡洋治(ながおか ようじ) |
生年月日 | 1950年12月24日生まれ |
没年月日 | 2005年8月1日(54歳没) |
出身地 | 茨城県古河市 |
出身高校 | 埼玉県春日部高等学校 |
出身大学 | 東京大学法学部卒業 ハーバード大学大学院修了 |
経歴 | 1975年 農林水産省入省 (1978年 桂子氏と結婚) 1995年 農林水産省退官(44歳) 1996年 衆議院議員選挙 落選 2000年 衆議院議員選挙 落選 2003年4月 衆議院議員補欠選挙 初当選 2003年11月 衆議院議員選挙 当選 |
東大を卒業した後に、ハーバード大学大学院修了とのこと。
アメリカの大学院を修了されていますから語学力もあったでしょうし、農林水産省でも幹部候補のエリートだったと思われます。
それでも、44歳で退官されて、政治家になる道を選ばれます。
2度の落選を経て、2003年の補欠選挙で初当選!
農林水産省を退官されてから、約8年かかっての初当選ですから、相当嬉しかったでしょうね。
やりたいことが、やっと出来る!と希望に満ちていたのではと思うのですが、それだけに、その後2年ほどで亡くなってしまわれたことは、大変残念だと思います。
永岡洋治氏は、奥様である桂子氏が、今回入閣されることになったことを、天国で喜んでいらっしゃるでしょうか。
内閣改造 文部科学相に永岡桂子氏起用へ 初めての入閣 https://t.co/piHQsV7swl pic.twitter.com/grdFJvxANx
— maru(反応が遅いのは許してください) 僕はBOTじゃないです (@TLbot0) August 9, 2022
永岡洋治・桂子夫妻に子供はいる?
永岡洋治氏と桂子氏との間には、娘さんが2人いますが、生年月日などは公表されていませんので、現在の年齢もわかりません。
永岡洋治氏と桂子氏のお二人が結婚されたのは、1978年1月です。
当時、洋治氏は28歳、桂子氏は3歳年下の25歳です。
もし、ご結婚された後、すぐにお子さんが出来ていたとしたら、40歳前後の可能性もあります。
その娘さんも、もうご結婚されていてもおかしくありませんし、お孫さんがいる可能性もありますね。
父親である永岡洋治氏が亡くなられた際に、救急車を呼んだのは娘さんとのこと。
とても辛い経験をされたのですね。
まとめ
この度、文部科学大臣として初入閣される永岡桂子氏。
その永岡桂子氏の旦那(夫)の永岡洋治氏について、ご紹介しました。
永岡洋治氏は、2005年8月1日に帰らぬ人となってしまいました。
しかも、自ら命を絶たれたということで、とても悲しいことだと思います。
永岡洋治氏が、そのような選択をするに至った理由のひとつが、郵政民営化なのではとのこと。
農林水産省を退官されて約8年後に初当選されてから、国会議員としてご活躍されたのは、わずか2年でした。
また、永岡洋治氏と桂子氏の間には、娘さんが2人いらっしゃることもご紹介しました。
母親である永岡桂子氏のご活躍ぶりを、娘さんたちも応援されていることでしょう。
今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
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