テレビのコメンテーターとしてもお馴染みの田中優子さんは、元法政大学学長です。
田中優子さんは、2014年から2021年まで、法政大学の学長を務めました。
東京六大学で初の女性総長ということで注目されましたね。
そんな田中優子さんは、結婚されているのでしょうか?
どうやら、離婚歴があるようです。
また、子供はいるの?
さらに、田中優子さんの出身や学歴についても、まとめてみました。
■田中優子は結婚してる?
■田中優子には子供がいる?
■田中優子の出身と学歴について
田中優子は結婚してる?
田中優子さんは、過去に結婚していた時期があったようです。
田中優子さんの学歴については、後ほど詳しくお伝えしますが、田中優子さんが法政大学の大学院の学生だった時に、同じ大学院の先輩の方と結婚されたようです。
ただ、結婚生活は3年程で、長くは続かなかったようです。
夫がアメリカ・ニューヨークに留学したのを機に、大学院を休学してニューヨークに同行しますが、帰国後に法政大学の専任講師となり、その後離婚されたようです。
Wikipediaには、結婚と離婚に関して以下のように簡単に掲載されています↓↓↓
博士課程中に大学院の先輩と結婚し、休学して夫の留学先であるニューヨークで生活する。
帰国後に専任講師となって多忙となり、3年後に離婚。
引用元:Wikipedia
田中優子には子供がいる?
ご紹介したように、結婚生活は3年で、その間はニューヨークにも滞在していましたし、帰国後も仕事が忙しかったことが離婚の一因になったとのことですから、子供はいなかったのではと思われます。
離婚された後の田中優子さんは、31歳(1983年)で法政大学の助教授になり、3年後には北京に留学。
39歳(1991年)には法政大学教授になり、今度はイギリスのオックスフォード大学にも留学するなど、精力的に仕事に邁進されていきますので、そのような状況から考えても、シングルマザーとして子育てをされていたような雰囲気は無さそうです。
田中優子の出身と学歴について
田中優子さんは、神奈川県横浜市出身。
兄弟は、お兄さんが一人います。
幼い頃から、読書が好きな少女でした。
小学校は公立に通っていましたが、中学からは私立の学校へ。
神奈川県鎌倉市にあるキリスト教の私立学校である清泉女学院に中学・高校の6年間通いました。
文学少女だったのは間違いないですが、スポーツも好きで、中学生の頃にはバスケットボール部に入部。
ただ、バスケ一筋!といった感じではなかったようで、とにかく色んなことに興味津々!
高校時代は、学校内で発行されていた雑誌の編集に携わり、それが高じてカメラにも没頭、自ら写真部を立ち上げたようで、この頃からバイタリティーあふれる学生だったようですね。
田中優子さんが高校生の頃、世の中は学生運動が盛んだった時期に当たります。
当時東大生だったお兄さんが全共闘に参加していたこともあり、世界の問題にも興味を持つなど、この時代ならではの経験をされたようです。
大学は、法政大学文学部日本文学科に入学され、卒業された後は、そのまま法政大学の大学院に進まれます。
田中優子のプロフィール
2022年9月27日に行われた元安倍晋三首相の国葬の日、田中優子さんは沿道に立ち、スピーチをされたことで注目されました。
「国葬」中止署名呼びかけ人のひとりである田中優子さん(法政大学前総長)がスピーチ。
「『国葬』は、権利と権威を政府に与えてしまう。私たちが不断の努力を怠ったら、ファシズムへの道につながる。これからも注視して、常にたたかっていかなければならない」。#国葬の開催に抗議します pic.twitter.com/4LtCZLJeBH
— 安全保障関連法に反対する学者の会 (@anpogakusya) September 27, 2022
氏名 | 田中 優子(たなか ゆうこ) |
生年月日 | 1952年1月30日 |
年齢 | 70歳(2022年9月現在) |
出身地 | 神奈川県横浜市 |
出身小学校 | 横浜市立 本町小学校 |
出身中学校 | 私立 清泉女学院中学校 |
出身高校 | 私立 清泉女学院高等学校 |
出身大学 | 法政大学 文学部日本文学科 |
出身大学院 | 法政大学大学院 人文科学研究科修士課程 |
職業 | 江戸文化研究者 |
肩書 | 法政大学第19代総長 法政大学名誉教授 |
受賞歴 | 芸術選奨文部科学大臣賞 紫綬褒章 |
まとめ
今回の記事では、元法政大学学長の田中優子さんについてご紹介しました。
田中優子さんは離婚歴があるようですが、現在は独身で、子供はいないようですね。
学歴については、中学・高校は鎌倉市にある私立・清泉女学院に通われ、大学・大学院は、法政大学を卒業されました。
今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
コメント