眞鍋政義監督は若い頃から監督兼務!現役時代はセッターでイタリアでもプレー | トマト★ジャーナル

眞鍋政義監督は若い頃から監督兼務!現役時代はセッターでイタリアでもプレー

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2022年9月24日に開幕する女子世界バレー2022で、眞鍋政義監督が約5年ぶりにバレーボール女子日本代表を率いて、世界相手の戦いに挑んでおられます!

眞鍋政義監督は、かつて「新日鉄」というチームに所属するバレーボール選手で、日本代表にも選ばれた経験のある方です。

そして、若い頃から「選手兼監督」としてプレーされていたことをご存じですか?

選手と監督を兼務しながら、現役時代はセッターとして活躍され、日本人選手として、初めてイタリアのセリエAでプレーした選手でもあります。

今回は、そんな眞鍋政義監督の若い頃、そして現役時代について、深堀りしていきます!

▽この記事でわかること▽
■眞鍋政義監督は若い頃から監督兼務!
■眞鍋政義監督の現役時代はセッター!
■眞鍋政義監督はイタリアセリエAでプレー!
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眞鍋政義監督は若い頃から監督兼務!

眞鍋政義監督が、「監督」という肩書を初めて持ったのは、1993年です。

当時は、「新日本製鐵(通称:新日鉄)」のチームに所属し、「バレーボール選手兼監督」という立場で、チームを率いていました。

眞鍋政義監督は、1963年8月21日生まれですから、兼務とは言え「監督」という立場になったのは、30歳の頃という計算になります。

これって、すごく若いと思いませんか?!

眞鍋政義監督が、新日鉄で「選手兼監督」として活躍されたのは、1993年(30歳)から1999年(36歳)に新日鉄を退社されるまでの6年間です。

眞鍋政義監督の「選手兼監督」時代、新日鉄の成績はというと、発足したばかりのVリーグで、第3回・第4回の2年連続リーグ優勝!

選手としてこのリーグ連覇に貢献されたことはもちろんですが、監督としても、この成績を残しているのは素晴らしいことですよね。

しかも、驚くことに、この6年間の間にも、日本代表として国際試合にも出場され、活躍されています!

若い頃から、選手としての実力だけでなく、「監督」としての才能があり、チームメイトからの人望も厚いなど、めちゃくちゃマルチな方ということが、お判りいただけるかと思います!

そして、30歳から積み重ねてきた「監督」としての長い経験が、59歳で再び日本代表監督をされている現在、めちゃくちゃ役にたっていると言えるでしょう!

なんせ「監督歴」が、半端なく長いですから!!!

 

眞鍋政義監督の現役時代はセッター!

眞鍋政義「選手」がバレーボールを始めた姫路市立・白鷺中学校時代は、エーススパイカーとして活躍されていました。

では、いつからセッターのポジションを担当するようになったのでしょうか。

セッターに転向は高校に進学してから

眞鍋政義監督がセッターに転向したのは、大阪商業大学付属高校に進学後のことです。

セッターは、バレーボールの技術だけではなく、チームの司令塔として周りの選手に指示を出しながらゲームメイクをする技術が必要な、とても難しいポジションです。

試合中、自分以外がすべて先輩選手だったとしても、躊躇することなく指示を出し続けなければなりません。

セッターに転向するきっかけが何だったのかは、調べても見つけることが出来なかったのですが、この転向により、眞鍋政義という日本バレーボール界の歴史に残る名セッターが生まれたと言えます!

眞鍋政義監督は、高校に入ってからセッターに転向したにもかかわらず、1年生の時から正セッターを任されていたといいますから、スゴイですよね。

しかも、インターハイで優勝するなど、好成績を残しています。

 

大学時代に名セッターとして日本代表に初選出

大阪商業大学に進学されてからの活躍は、まさに「大商大に眞鍋あり」の勢い!

ここでも、1年生の時から正セッター!

西日本インカレ、関西リーグについては、1年生から4年生までの4年間の4連覇達成!

1985年に神戸で行われたユニバーシアード大会にも出場されています。

そして、大学4年生で日本代表に初選出され、その年に行われたワールドカップに出場!

新日鉄では新人王!8年目からは監督兼務

1986年3月に大学を卒業されると、「新日本製鐵(通称:新日鉄)」に入社され、またここでも、1年目から正セッターとしてチームを率いて新人王獲得!

新日鉄に入社されてからは、リーグ三連覇など、とにかくめちゃくちゃ活躍されていました!

大学時代や、新日鉄時代の活躍ぶりについては、あまりにもボリューミーなので、今回のブログでは省略させていただきますね。

入社8年目からは選手兼監督という立場でチームを牽引されていたのは、先ほどご紹介した通り。

眞鍋政義監督はイタリアセリエAでプレー!

眞鍋政義監督は、1999年に13年間在籍した新日鉄を退社され、イタリアに渡ります。

イタリアで眞鍋政義監督が所属したのは、セリエAの「パレルモ」というチーム。

イタリアのセリエAでプレーをしたのは、日本人では眞鍋政義監督が最初でした。

当時の日本のバレーボール界は、まだプロ化が全く進んでいなかったのですが、イタリアでプレーするということは「プロバレーボール選手になる」ことを意味しました。

これって、凄いことですよね!

眞鍋政義監督が、どのような経緯でイタリアで「プロ選手」になったのか、順を追って説明していこうと思います!

眞鍋政義25歳/最初のオファー

眞鍋政義監督が、イタリアのバレーボールリーグから最初にオファーを受けたのは、新日鉄でプレーしていた25歳の頃でした。

私がプロになった最初のきっかけは新日鐵時代、田中幹保さんが監督の時に第1回世界クラブ選手権をイタリアで経験したことです。

25歳くらいでしたでしょうか。

結果新日鐵は5位。

通常ベストセッター賞は優勝したチームから選ばれ、ベストスパイカー、ベストサーバー等は決定率が数字に出るので、その結果で選出されていました。

その時5位という結果にも拘らず、私がトスを上げたアタッカーの決定率が高かったためベストセッターに選ばれました。

ベストセッター賞をいただいたお陰で、すぐに現地のチームからオファーをいただきました。

金額は確か当時で2,500万~3,000万くらいだったと思います。

引用元:バレーボールマガジン

チーム成績は5位だったにもかかわらず、ベストセッター賞を受賞された眞鍋政義監督は、この試合が行われたイタリアで、初めて海外移籍のオファーを受けました。

でも、この時には、オファーを断っています。

その時は、全く海外へ行く気がありませんでした。

終身雇用が当たり前の時代でしたから。

でも、自分の評価を生まれて初めて明確にされて、驚きながらも嬉しかったのを覚えています。

引用元:バレーボールマガジン

なんと!

まさに「サラリーマンアスリート」と表現すればいいでしょうか。

会社に雇ってもらっている身ですから、会社に対しての義理もありますし「終身雇用」という、普通のサラリーマンが感じているような感覚ですよね。

当時25歳、乗りに乗っている時期だったと思うのですが、海外チャレンジはしなかったのは、「まだそういう時代じゃなかったのかな」と思います。

 

眞鍋政義30歳/2度目のオファー

眞鍋政義監督が30歳になった頃、海外から2度目のオファーがありました。

当時の日本バレーボール界は、「日本リーグ」から「Vリーグ」へ変わり、大きな改革を進めていた時期で、海外の選手が日本のチームに登録できるようになっていました。

当時、眞鍋政義監督は、すでに選手兼監督をされていましたので、監督として、海外選手を日本のチームに紹介するエージェントの方々と話をする機会がありました。

エージェントの方々は、本来は、新日鉄に海外選手を売り込む目的で眞鍋政義監督と話をしているはず。

しかし、眞鍋政義監督は、逆に「眞鍋が(海外に)来いよ!」といつも声をかけられていたと言います。

ですが、この頃は、すでに選手兼監督という立場。

ただの一選手ではなく、監督として大きな責任も担っています。

ですから、その状態では、やはり海外に行くわけには行きませんでした。

眞鍋政義36歳/3度目のオファー

眞鍋政義監督が「選手兼監督」という生活に終止符を打ったのは、1999年。

6年続けた「選手兼監督」を退こうと考え出した時に、頭に浮かんだのが、今まで何度かあったものの断ってきた「海外移籍の夢を叶えたい」という思いでした。

年齢的にも、そろそろギリギリのタイミング。

「プロとしてプレーするならこれが最後のチャンスだ」と、36歳でプロ契約を決心しました。

 

しかし、決心したものの、その後、まず最初にしなければならなかったのは、家族を説得することでした!

家族は、新日鐵を退社し海外でプロ契約をすることに大反対しました。

当然ですよね、幼い子供が3人もいるのに、60歳まで安定が約束されている新日鐵という大企業を退社するなんて。

でも、36歳の自分に世界のビッククラブからオファー。

最後のチャンスと家族を説得しました。

引用元:バレーボールマガジン

こうして、眞鍋政義監督は、イタリア・セリエAのパレルモに加入され、翌2000年に帰国されました。

眞鍋政義/イタリアから帰国

眞鍋政義監督は、イタリアで活動されたのは、1年間でした。

イタリア・セリエAのパレルモとの契約が、最初から1年だったのか。

さらに、次のシーズンに向けて契約延長の誘いがあったのか。

その辺りについては、真相はわからないのですが、イタリアでの活動を1年で切り上げる決断をする際に、影響があったのではと推測されるエピソードがあります。

まだイタリアでプレーをしていた時期に、当時旭化成の監督をされていた南将之氏から「日本に帰国して、旭化成に来ないか?」と誘われたというのです。

南将之氏は、眞鍋政義監督が日本代表選手だった時期に、日本代表の監督をされていた方で、大変お世話になった方です。

南将之氏は、福岡県出身の元バレーボール選手で、3度オリンピックに出場されています。

★1961年東京五輪出場(銅メダル獲得)
★1968年メキシコ五輪出場(銀メダル獲得)
★1972年ミュンヘン五輪出場(金メダル獲得!!!)

そして、現役を引退されてからは、バレーボール男子全日本代表監督や、旭化成の監督も務められ、後進の育成にも尽力されました。

そんな南将之氏から、「帰国して旭化成に来て欲しい」と言われて、眞鍋政義監督は悩まれたかもしれませんね。

しかも、そのようなオファーが来た3日後に、南将之氏が心筋梗塞で亡くなられてしまったのです(2022年4月7日享年58歳)。

そのような経緯もあり、眞鍋政義監督は、日本へ帰国された後、旭化成に入団。

2002年には、松下電器に移籍されますが、2004年には再び旭化成へ。

亡き南将之氏の想いを受け取って、旭化成で結果を残されました。

 

さらに、2004年には旭化成に籍を置いて現役を続けながらも、大阪体育大学大学院に入学され、論文「バレーボールのセッターのトス回しについてのゲーム分析研究」修士号を取得されました!

40代になってからの大学院入学など、飽くなきチャレンジを続けられた眞鍋政義監督は、2005年に現役を引退されました。

現役を引退されてからの、眞鍋政義物語については、また別の機会にご紹介しますね

 

まとめ

2022年9月24日から開幕している女子世界バレー2022で、眞鍋政義監督が約5年ぶりにバレーボール女子日本代表を率いて、世界相手の戦いに挑んでおられます!

そんな眞鍋政義監督の若い頃や現役時代について、ご紹介させていただきました。

眞鍋政義監督が、若い頃から「選手兼監督」としてプレーされていたことがわかりましたね。

また、日本人で初めてイタリアリーグに挑戦した方でもあることを、ご紹介しました。

 

プレーはもちろんですが、セッターというポジションからも、様々なことを分析し、戦略をたてるとともに、チームメイトを統制し、その厚い人望によって、チームを作り上げていく、その手腕がお見事!ですよね。

若い頃から、監督業を経験されてきたことは、眞鍋政義監督の大きな強みですし、今後も日本代表をしっかりと導いていって欲しいと思います。

 

眞鍋政義監督の大きなチャレンジが、その後の日本人バレーボール選手たちに、大きな影響を与えたことは間違いないですよね。

日本人でも海外で通用する!ということを、世界に示してくださった功労者と言えます。

これからも、日本バレーボール界を盛り上げていっていただきたいと思います!

今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

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